ゆこの机の上と本棚

机の上に積んである本たちと日記

演劇入門

わたしセレクトではなくて、恋人の家でお勧めされて読んだ

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これは、タイトルだけ見ると“演劇を始める人向けの指南書”の様に見えるけど、実際内容はそうではなかった。コロナの中で見えた、まとめてみた、演劇とは?というような内容が多い気がした。かなりおもしろい内容だった。この人の作品を他にも読んでみたい。

 

まず、モノローグが最近の映像作品に多い理由について。その理由は、見る側の想像力が足りていないからだと思う。それと、作り手と演じ手が“本当に言いたいことが伝わってるのか?”について不安に思うからなのではないのだろうか。最近感じてしまう、何をするにも、本当にみんな想像力が足りていない。理由はたくさんあると思うけど、その中の1つがモノローグになってしまっている思う。想像して人の気持ちを考える前に答えを見せてしまうから、考える必要が無くなってしまうんだ。鈍感だとかそういう逃げの理由ではない、訓練が足りていない。

 

次に、演劇がより多くの人へ伝えることではなく、より少数の観客と親密になることが目的である事について。話は少し違うが、私はストリートミュージシャンが苦手。理由は、話し掛けてきて気を引こうとするから。音楽で自分を売ってるなら、音楽だけで勝負して来いと思う。だから、“観客と親密になる”の中に、演劇文化でありがちな内輪盛り上がりはやめて欲しい。演じる事で、見る側を取り込んで欲しい。他の事に気を取られる事が出来なくなるくらいにして欲しい。

けれど、より多くの人へ伝えることを目的としない行為は利益には繋がらない。それでも続けるのだから、やっぱり演劇人はちょっとおかしい(褒め言葉)

 

そして、舞台と人生が似たものであるという記述について。これに関しては、舞台に上がれば人間は皆ひとりきりという点では正しいと思う。けれど舞台は舞台だ。たった1人にスポットライトが当てられて、それが主人公である自分だとしても、舞台にはたくさんの他の人が居る。それは人生とは違うと思う。たくさんの人が関わって人生は成り立つ、けれども何回でも言ってしまう、人生は皆ひとりきり。他人にスポットライトがあたってしまう可能性のある場所が、生きるべき人生が、そこで本当に良いのだろうか。

 

最後に、最近よく見る2.5次元。漫画や書籍の舞台化や映像化について。漫画の舞台化は好評らしい、いつか一度は見に行きたい。けれど私が知る限り、書籍の映像化で成功している作品を見た事がない。それは、本を読む人は文章の行間を読むからた。行間は皆同じではない、読んだ人の数だけ種類がある。それを映像化なんて出来るわけがない。似た内容には出来る、けれどもその本で本当に伝えられたかった事を、どれだけ伝えることができるだろう。

 

私は演劇に関わる人間ではないけれと、それでも十二分に楽しめる内容だった。軽々しく言うべきで内容ではないが、演劇に関わる人間になりたくなった。